京都という町が僕は好きだ
現地の方の
腹黒い言い回しがネットで面白おかしく語られ
僕も初めは何を思われてるか分からず抵抗があった
詩人choriという人は
僕にとてつもない衝撃と感動を残して死んだ
言葉の無力しか知らなかった僕に
言葉の可能性をその生き様で示したのだ。
かつて詩人という生き物のショーケースを
初めて目の当たりにした僕は
初めてラップというものを聴いた
あの夜に酷似した衝撃を味わう事になるとは
梅雨知らず
自分の内面性の伽藍堂ぷりに
心底厭世観を募らせてばかりいた。
この街には
京都という街には
詩人という人種が、多く、
それも数えきれないほど住んでいる。
その辺を歩いているような
本当に一般人の風貌でありながら
一度言葉を発したその刹那
その声色は澄んでよく通り
それらはあたかも闇を裂き
ラッパーより遥かに多くの韻を踏み
即興性に富び
その瞬間、彼等は確かに
生きている
その表現を外套の様に纏うのである
この頃、自分の在り方や
ライブショーケースに酷く頭を悩ませた
ある種ブランク。
たった一人きりで生きている様な感覚が拭えず
地獄の様な夜を経た。
そんな中での京都出演
さて、どんな風に戦うか。
その悩みは一瞬で忘れ去られる事になる。
詩人という生き物は自由だ。
自由過ぎるのだ。
いきなり面を被って短歌を読み始める者もあれば
素足になり、読んだ紙を冷たい床に捨ててゆく者もある。
リリースされている著名な音源を流したかと思えば
なんの躊躇いもなくその上で詩を読む。
インターネットの投稿を読み上げるだけでスラムの勝ち星を総なめする者もあれば
即興で恐ろしい濃度の言葉を吐き
ラッパーより上手くトラックを乗りこなす。
心底恐ろしい。
しかしそのお陰で
僕もまた自由になろうと思えるのだ。
ありのままの僕になり
丸裸の心で歌を歌う。
すると時に詩人という生き物は
その恐ろしいボキャブラリィで僕を褒めちぎる。
本当に恐ろしい。
すっかり毒の抜けた僕は
未来はこの手の中にあるものだと確信して帰路に着く
筆の遅い僕に
たった数時間の帰路で
二、三本の曲を作らせる。
京都という街は、恐ろしい街だ。
一度詩人という生き物に触れてみてはどうだろうか。
詩人に限らずとも
この街には劇場も多く点在する。
言葉だ。
言葉により深く触れてみるといい。
きっと僕の言う事も分かってもらえるだろう。
この確信もまた、詩人という生き物が授けた。
心底恐ろしい生き物である。